第2話|欧米では、ダムを壊すことが戦略になっている
要旨:2024年、欧州では23カ国で542基の河川障壁が撤去された。ただし、その大半は高さ2メートル未満の小規模構造物である。米国ではエルワ川で高さ64メートルのダムが消え、絶滅寸前だったサケが数千匹規模で帰ってきた。パタゴニアが制作した映画は数万人規模の署名を生んだ。世界で起きていることを見たうえで、日本に何が持ち込めて何が持ち込めないのかを考える。
1. 542基という数字
2024年、欧州で撤去された河川障壁の数は542基。23カ国にわたる。初めて全欧州規模の集計が行われた2020年は101基、11カ国だった。4年で5倍以上に増えた計算になる1。
ただし「ダムを壊している」という印象は、そのままでは正確じゃない。
2. 狙っているのは「小さな堰」
542基の内訳を見る。カルバート(暗渠)が45パーセント、堰が43パーセント。高さ5メートルを超えるような構造物は全体の1パーセントしかない。65パーセントは高さ2メートル未満だ2。
巨大ダムをひとつ撤去するには莫大な資金と何年もの政治的合意が要る。一方、水源地帯を分断している小さなカルバートや老朽堰を潰す方が、低コストで広い範囲の河川を再接続できる。2024年だけで再接続された河川延長は2,900キロメートル以上1。東京から鹿児島まで往復してなお余る距離だ。
背景に法律もある。2024年8月に発効したEU自然再生法(Regulation (EU) 2024/1991)は、2030年までに少なくとも25,000キロメートルの河川を自然な流れに戻す目標を掲げている1。加盟国は発効から2年以内に国家復元計画の草案を提出する義務を負っている。ただし、同法に対しては加盟国間で実施方法や費用負担を巡る議論が続いており、目標の達成見通しは確定していない。
3. 安全上のリスク——「溺死製造機」という俗称
撤去が加速しているもうひとつの理由は、安全だ。
老朽化した低頭堰は、水面下に逃げ場のない循環流(ハイドローリックジャンプ)を生む。英語圏では俗に「Drowning Machine(溺死製造機)」と呼ばれることがある。Dam Removal Europeの調査では、欧州16カ国で82件の事故が確認され、129名が死亡している。事故の80パーセント以上で少なくとも1名が命を落としている3。
「魚のために壊す」では動かない住民合意が、「地域の安全のために壊す」と言い換えた途端に動く。環境の話を防災・安全の話に変える——その発想が、欧州の撤去を加速させた。
4. エルワ川——3億ドルが買った112キロメートル
欧州の「小さく数多く」とは対照的に、米国では力技の前例がある。ワシントン州オリンピック半島を流れるエルワ川。1913年に建設された高さ32メートルのエルワ・ダムと、1927年建設の高さ64メートル・グリンズ・キャニオン・ダム。2基合わせて、流域の90パーセント以上のサケ生息地への遡上を完全に遮断していた4。
撤去を動かした力は環境団体ではない。流域の先住民、ローワー・エルワ・クララム族だ。1855年にアメリカ政府と結んだ条約で保障された漁業権が、ダムによって行使不能になっている——この論理が数十年のロビー活動を経て1992年の連邦法成立に結びつき、2011年に撤去工事が始まった5。
2014年8月に撤去完了。再開放された生息地は70マイル(約112キロメートル)。ほぼ絶滅していたチヌーク・サケの回帰数は2019年に推定7,600匹以上を記録し、1980年代後半以降で最高となった5。先住民の儀式漁も再開されている。
ただしコスト。1991年の初期見積りは、ダム本体の撤去費用として約6,100万ドルだった。最終的な総事業費(撤去に加え、堆積土砂処理、段階的撤去の追加工程、下流浄水施設改修、生態系復元事業等を含む)は約3億2,500万〜3億5,000万ドルに達したとされる67。初期見積りの5倍以上に膨張した形だが、撤去費のみと復元事業全体費では対象範囲が異なる点に注意が必要だ。いずれにせよ、大規模ダム撤去の「見えないカスケード費用」の重さを、エルワ川は記録として残した。
5. ダムネーション——映画が4万人を動かした日
2014年、もうひとつの出来事があった。ドキュメンタリー映画『DamNation』の公開だ。監督はTravis RummelとBen Knight。資金を出したのはアウトドアブランドのパタゴニア、約50万ドル8。
SXSWでドキュメンタリー観客賞を獲り、Netflixで配信され、結果として数万人規模の署名がオバマ大統領宛てに集まったとされる89。行政の公聴会でも学術論文でもなく、88分の映像が世論形成に寄与した事例として記録されている。
映画を全面的に賞賛するつもりはない。コンテンツは感情を動かすが、その感情が向く先はコントロールできない。ただ、インフラ政策の合意形成において「データと論理だけでは人は動かない」という現実を、この映画はよく見せている。
6. 日本に持ち込めること、持ち込めないこと
欧米の潮流をそのまま日本に移植することはできない。日本の河川は勾配が急で、梅雨と台風に降水が集中する。国土交通省が「ダム再生(機能向上・延命)」を国家方針としているのには、地形的な必然がある10。
だが「地形が違うから撤去の議論自体が不要」と結論づけるのは早計だろう。
問題は大型ダムの老朽化にある。戦後すぐに建設されたコンクリートダムの多くが、竣工から70年を超えようとしている。堆砂で貯水量を失い、本来の治水容量を発揮できなくなっている施設がある。コンクリートの劣化が進み、補修を繰り返しても設計寿命の限界に近づいている施設がある。それを「ダム再生」の名のもとに延命し続けることが、本当に合理的なのか。
老朽化が進行した構造物を放置すれば、決壊リスクが高まり、下流域に甚大な被害をもたらす可能性がある。その場合の復旧費用と人的被害は、計画的な撤去の費用を大きく上回りうる。荒瀬ダムの最終的な撤去費用は約84億円、エルワ川は復元事業全体で3億ドル超——巨額に見える。だが、荒瀬ダムが撤去凍結された2008年、60億円だった費用が72億円に膨らんでいた。先送りすればするほど費用は膨らむ傾向がある。これは荒瀬ダムの事例が示した教訓のひとつだ。
「予算がないから残す」は、判断というより先送りに近い。老朽化の進行は止まらず、対応コストは時間とともに増加する。
欧州から学ぶべきは「小さいものから手をつける」という戦術だけではない。「撤去すべきかどうかを判断する仕組みを、国として持っている」という制度設計の方だ。EU自然再生法は、各国に計画の提出を義務づけた。エルワ川では先住民の条約権が法的根拠になった。仕組みがあるから、判断ができる。日本にも河川法に基づくダム検証や水利権更新の制度は存在するが、「撤去」を選択肢として正面から評価する枠組みは、まだ十分に整備されているとは言い難い。
もちろん、小規模な堰やカルバートの棚卸しも並行して進めるべきだ。巨大ダムの議論を待つ間に、機能を失った農業用堰や砂防堰堤を片付ける作業は今日からでも始められる。だが、それは大型ダムの撤去判断を免除するものではない。
地球防衛群の立場
欧州が示したのは、撤去を国家レベルの制度として運用できるという前例だ。エルワ川が示したのは、先送りのコストが計画的撤去のコストを圧倒的に上回るという事実。ダムネーションが示したのは、専門家の間で閉じていた議論を社会に開く手段がある、ということ。
日本の大型ダムの中に、堆砂で機能を失い、老朽化で構造的リスクを抱え、それでも「存在するから必要とされている」だけのものがあるなら、それは撤去の対象として正面から議論されるべきだ。予算の問題は、判断を留保する理由にはならない。判断した上で、どう費用を工面するかを考えるのが制度設計であり、政治の仕事だ。
3,000基の一つひとつについて「いま必要か」「いつまで持つか」「壊す場合にいくらかかるか」を問い直す。その問いを立てることを許す仕組みを作る。欧米から持ち込むべきは結論ではない。判断を可能にする制度の方だ。
注記
- 本稿で「河川障壁」とは、ダム、堰、カルバート(暗渠)、砂防堰堤等を含む河川横断構造物の総称である。欧州の542基の大半は高さ2メートル未満の小規模構造物であり、日本の河川法上の「ダム」(堤高15メートル以上)とは規模が大きく異なる。
- 本稿はすべてのダム撤去を主張するものではない。治水・利水・発電等の機能を現に果たしている施設の必要性を否定する趣旨ではなく、役割、老朽化、堆砂、生態系影響、撤去費用、流域住民の合意形成を含めた再評価の仕組みが必要であるとの立場から記述している。
- 本記事の数字は一次資料の照合中の段階を含む。記録性を優先して掲載しており、続刊で更新する場合がある。
本記事は、一般財団法人 地球防衛群が運営するWebサイト
earth-savers.orgの解説記事シリーズ「ダムと川のこれから」第2話として執筆した。法的助言・行政判断・投資判断の代替ではない。
注・出典
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Dam Removal Europe, Dam Removal Progress 2024 (Mouchlianitis, 2025). https://damremoval.eu/wp-content/uploads/2025/05/Mouchlianitis-F.A.-2025.-Dam-Removal-Progress-2024.pdf(外部サイトを別タブで開く) ↩ ↩(2か所目) ↩(3か所目)
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Dam Removal Europe, Dam Removal Progress 2024(同上)。撤去対象の構造的内訳・高さ別統計。 ↩
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Dam Removal Europe, Progress Report 2023. https://damremoval.eu/wp-content/uploads/2024/04/Web-version_DRE-Report-2023.pdf(外部サイトを別タブで開く) ↩
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NOAA Fisheries, "Dam Removals on the Elwha River". https://www.fisheries.noaa.gov/west-coast/science-data/dam-removals-elwha-river(外部サイトを別タブで開く) ↩
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Washington Conservation Action, "Celebrating 10 years of dam removal…on the Lower Elwha". https://waconservationaction.org/celebrating-10-years-of-dam-removal-and-community-resiliency-on-the-lower-elwha/(外部サイトを別タブで開く) ↩ ↩(2か所目)
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U.S. GAO, RCED-91-104: Hydroelectric Dams—Costs and Alternatives for Restoring Fisheries in the Elwha River (1991). https://www.gao.gov/assets/rced-91-104.pdf(外部サイトを別タブで開く) ↩
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Wikipedia, "Restoration of the Elwha River". https://en.wikipedia.org/wiki/Restoration_of_the_Elwha_River(外部サイトを別タブで開く) ↩
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Wikipedia, "DamNation". https://en.wikipedia.org/wiki/DamNation(外部サイトを別タブで開く) ↩ ↩(2か所目)
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Patagonia Works, "DamNation now on Netflix" (2014). https://www.patagoniaworks.com/press/2014/11/11/damnation-now-on-netflix(外部サイトを別タブで開く) ↩
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国土交通省 水管理・国土保全局「ダム再生」. https://www.mlit.go.jp/river/dam/(外部サイトを別タブで開く) ↩