第4話|「撤去しない」を支える構造——そして、変えるための仕組み
要旨:2017年、国土交通省は「ダム再生ビジョン」を策定した。そこでは既設ダムの有効活用が中心に据えられ、「永く使う」「賢く使う」「増やして使う」「ネットワークで使う」という方向性が示された。一方で、老朽化、堆砂、維持管理費、河川環境の変化を踏まえた「撤去を含む再評価」の制度は十分に整っていない。なぜ撤去は選択肢になりにくいのか。公共事業の継続構造、発電ダムという固定資産、水利権の更新制度、費用負担の空白を整理し、流域単位で「継続・改修・撤去」を比較する仕組みを提案する。
1. 議論の不在——なぜ「撤去」は選択肢にならないのか
2017年、国土交通省は「ダム再生ビジョン」を策定した1。副題は「既設ダムの有効活用」。文書は23ページ。そこに「撤去」の二文字は一度も現れない。
ビジョンの骨子は四つ。「永く使う」「賢く使う」「増やして使う」「ネットワークで使う」。堤体かさ上げ、放流設備増設、利水容量の洪水転用、ダム間連携——すべて既存構造物を延命・拡張する方向に振られている。文書は明言する。「ダムの堤体は、適切に施工、維持管理されているものであれば、半永久的に健全であることが期待できる」と。
半永久的。しかし第3話で見たとおり、堤体が健全でも貯水池は砂で埋まる。国土交通省所管575基のうち、326基では洪水調節容量内に堆砂が確認されている(ただし、その多くは余裕の範囲内であり、余裕を超えているのは20基)。計画堆砂量を超過しているダムは68基で、すべて対策実施中または検討中とされている2。堤体の寿命と、ダムの機能寿命は別物だ。ビジョンはこの区別には触れないまま、「再生」という語に延命策を収めている。
加えて言えば、大規模な構造補修や設備更新では、工事内容によって貯水位の低下や代替水源の確保、堆積土砂の管理が必要になる場合がある。大型ダムでこれらを実施することは容易ではない。「適切に維持管理すれば半永久的」という前提が、現実にどこまで成り立つかも、問い直す余地がある。
存在しない選択肢は検討されない。検討されなければ予算もつかない。予算がなければ実績も生まれない。「前例がない」とは、制度がそう設計されてきた結果だ。
2. 「撤去しない」を支える構造
国総研の平成13年度調査では、直轄・公団管理98ダムの平均年間維持管理費は1基あたり約3.4億円だった3。現在はこれより上昇しているとみられる。これを国交省所管575基に単純換算すれば年間約2,000億円規模となるが、実際の費用はダムの規模・管理主体・設備構成により大きく異なる。また、国土交通省は河川等(河川・ダム、砂防、海岸)分野全体について、今後30年間の維持管理・更新費を18.7兆〜25.4兆円と推計している4。これらの予算は、地元建設会社、計測機器メーカー、ゲート・塗装業者、堆砂測量を担う測量会社など、継続的な維持管理産業を形成している。ダムがなくなれば、この経済圏が縮小する。撤去工事も大型事業だが、それは一回限りだ。維持管理は毎年続く。そこに撤去を推す経済的インセンティブは生まれにくい。
太陽光発電には廃棄等費用積立制度が導入され、風力発電についても同様の仕組みが検討・制度化されつつある5。一方、ダムについては、撤去費用を供用期間中から計画的に積み立てる包括的な制度は見当たらない。荒瀬ダムでは、当初の撤去費用に加え管理・環境対策・関連工事等を含む総事業費が膨らんだと報じられているが、その費用は熊本県が県営電気事業の廃止に伴う特別会計から工面した。制度ではなく、政治決断だった。
問題は発電ダムになるとさらに複雑だ。日本のダム約1,480基のうち、電力事業者が管理する発電用は約393基6。これらは企業の固定資産であり、発電原価の償却が終わった「優良資産」として帳簿に載っている。水利権の許可期間は、国土交通省の説明では発電水利使用がおおむね20年、その他の水利使用がおおむね10年とされている7。制度上は更新審査があるものの、既存利用の継続が前提となりやすく、更新時に「継続・改修・撤去」を流域で本格的に比較検討する契機にはなりにくい。ダムを撤去するには、水利権を放棄し、河川法上の工作物を除却し、環境影響評価を行い、下流の治水計画を書き直す必要がある。河川法上、工作物の除却や水利使用の変更・廃止に関する手続は存在するが、撤去を前提に費用負担・環境影響・下流治水・利水代替・住民合意を一体的に扱う標準的な制度枠組みは十分に整っていない。荒瀬ダムは県営だったから知事の判断で動いた。民間電力会社が保有するダムに同じ決断を促す法的根拠は、現行制度には乏しい。
多目的ダムにはさらに利害関係者が広がる。農業用水・上水道の取水権を持つ自治体・農業団体にとって、ダムの撤去は水源の喪失を意味しうる。建設時に補償を受けた住民・集落が存在する場合、「撤去=歴史の否定」という感情的な壁も働く。利害関係者が分散しているため、誰が「撤去を決める主体」になるのかが法的に曖昧なまま残っている。荒瀬ダムの場合でさえ、住民運動の開始(2002年)から撤去完了(2018年)まで16年を要した。
3. 「必要だから存在する」のか
この連載の冒頭で立てた問いに戻る。
荒瀬ダムに併設された藤本発電所は、年間およそ6,500万〜7,500万kWh規模の電力を発電し、建設当時は地域の電力供給を支える重要な施設だった。しかし県内の電力供給構造が変わり、設備が老朽化し、漁業被害が蓄積した2002年の時点で、ダムの存在理由は発電量ではなく「撤去費用を誰が負担するか決まっていない」という制度の空白に移っていた。
同じ構造は全国に散在する。堆砂率が計画を超え、洪水調節容量が侵食され、放流設備の更新に数十億円を要するダム。機能はすでに低下している。だが「撤去」が選択肢として制度に存在しない以上、「延命」か「放置」しかない。延命には予算がつく。放置にはリスクが蓄積する。2011年、供用62年の藤沼ダムが東北地方太平洋沖地震で決壊し、死者7名、行方不明者1名の被害を出した8。
「存在するから必要とされている」——この循環から抜け出すには、制度そのものを見直す必要がある。
4. 変えるための仕組み
抽象的な提言ではなく、具体的に何が要るかを示す。
まず、評価の制度化だ。国交省所管575基、電力393基、都道府県・農水省所管を含む全約1,480基を対象に、堆砂率と残存有効容量、洪水調節機能の残存率、堤体・放流設備の構造健全度、年間維持管理費の推移、撤去した場合の概算費用と下流影響試算——これらを定期的に公表する制度を設ける。「撤去しろ」という制度ではない。「現状を数字で可視化しろ」という制度だ。可視化されれば、「なぜこのダムを維持し続けるのか」という問いが社会に開かれる。現状は管理主体によって点検頻度も公表基準も異なり、全体像を一望できる統一的な仕組みは整備途上にある。
次に、撤去費用の積立だ。太陽光の廃棄等費用積立制度を参考に、供用50年を超えるダムについて管理者に積立を義務づける。荒瀬ダムの84億円、エルワ川の3億ドル超は「巨額」とされるが、同規模の新設費用や決壊した場合の被害想定額と比較すれば、非合理的な数字ではない。問題は金額の大小ではなく、積立がないために「いつ撤去するか」の判断が永遠に先送りされることにある。道路・橋梁では長寿命化計画と修繕費の積立が制度化されている。ダムで同じことが技術的にできない理由はない。
そして合意形成の制度化だ。荒瀬ダムを動かしたのは、20年にわたる住民運動と、漁協・自治体・県弁護士会の働きかけだった。荒瀬ダムのような変化を次の流域でも起こせるよう、水利権更新時(発電おおむね20年、その他おおむね10年)に流域住民・漁協・自治体・学識者を含む協議の場を河川法に位置づける。評価制度のデータをもとに「継続・改修・撤去」を審議し、結果を河川管理者に答申する。まずは「問い直す場」を制度として確保することが出発点だ。
地球防衛群の立場
「ダム全廃」を求めているわけではない。 ダムには、治水・利水・発電という現実の役割がある。 しかし同時に、すべてのダムが永遠に必要であり続けるわけでもない。
問題は、撤去という選択肢が制度の入口に置かれていないことだ。 維持する。改修する。運用を変える。堆砂を除く。部分的に撤去する。完全に撤去する。 本来は、流域ごとにこれらを比較すべきだ。
老朽化した構造物が、点検で異常なしとされながらも、想定を超える地震や豪雨で被害を出す可能性はゼロではない。藤沼ダムの決壊は、そのことを重く問いかけている。
一方で、荒瀬ダムの撤去後、球磨川では流れと土砂移動が回復し、底生生物の種数増加など河川環境の再編が報告された。川は完全に過去へ戻るわけではない。だが、流れを取り戻した川は、もう一度、自分の形をつくり始める。
「必要だから存在する」のか。 それとも「存在するから必要とされている」のか。
その問いを、一基ずつ、流域ごとに開く時期に来ている。 まず必要なのは、撤去を結論にすることではない。 撤去も含めて話し合える制度と空気をつくることだ。
注記
- 本記事は、老朽化したダムや河川構造物の一律撤去を主張するものではない。治水・利水・発電など現に重要な機能を果たしているダムについては、その機能と安全性を前提に慎重な評価が必要である。本記事の趣旨は、老朽化、堆砂、維持管理費、生態系影響を含め、補修・再生・運用変更・撤去を選択肢とする流域単位の再評価制度の必要性を論じるものである。
- 維持管理費の575基への換算は参考値であり、個別ダムの実費とは異なる。
- 本記事の数字は一次資料の照合中の段階を含む。記録性を優先して掲載しており、続刊で更新する場合がある。
本記事は、一般財団法人 地球防衛群が運営するWebサイト
earth-savers.orgの解説記事シリーズ「ダムと川のこれから」第4話として執筆した。法的助言・行政判断・投資判断の代替ではない。
注・出典
-
国土交通省 水管理・国土保全局「ダム再生ビジョン」(平成29年6月)。https://www.mlit.go.jp/common/001190127.pdf(外部サイトを別タブで開く) ↩
-
国土交通省 水管理・国土保全局「国土交通省所管ダムの堆砂状況」(令和6年7月)。https://www.mlit.go.jp/river/dam/taisa/taisha_joukyouR6.pdf(外部サイトを別タブで開く) ↩
-
国土技術政策総合研究所「ダムの維持管理コスト」(平成13年度・直轄・公団管理98ダム平均、約3.4億円/基)。575基への単純換算は参考値であり、実際の費用はダムの規模・管理主体・設備構成により大きく異なる。https://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/kpr/prn0004pdf/kp0004353.pdf(外部サイトを別タブで開く) ↩
-
国土交通省「社会資本の将来の維持管理・更新費の推計」(平成30年11月)。河川等(河川・ダム、砂防、海岸)分野30年間合計18.7兆〜25.4兆円。https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/maintenance/_pdf/research01_02_pdf02.pdf(外部サイトを別タブで開く) ↩
-
資源エネルギー庁「太陽光発電設備の廃棄等費用積立制度について」。https://www.enecho.meti.go.jp/category/saving_and_new/saiene/kaitori/dl/fip_2020/fip_document03.pdf(外部サイトを別タブで開く) ↩
-
国土交通省 ダムの有効活用に向けた検討懇談会「ダムを取り巻く現状と諸課題」(令和5年7月)。https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/dam_kondankai/dai01kai/02_shiryo02.pdf(外部サイトを別タブで開く) ↩
-
国土交通省 水管理・国土保全局「水利権制度等」。発電水利使用はおおむね20年、その他の水利使用はおおむね10年。https://www.mlit.go.jp/river/riyou/main/suiriken/seido/index.html(外部サイトを別タブで開く) ↩
-
福島県農業用ダム等安全性検証委員会「藤沼湖の決壊原因調査 報告書(要旨)」(平成24年1月)。死者7名・行方不明者1名、流出家屋11戸。https://www.pref.fukushima.lg.jp/download/1/nosonkeikaku_kensyo_houkoku1-1.pdf(外部サイトを別タブで開く) ↩